夫婦で一緒に生活していて「気が合わないな・・」と
思ったことはありませんか?
夫婦はそもそも他人、育った環境も違うのだし、
”価値観の違い”があることは仕方がないですよね、
むしろ、違うからこそバランスがとれるということも
あります。
とはいえ、
お互いに苦痛になるほどでは困ってしまいます。
そんな時に知っておきたい運命分析2つのことがあります。
ある程度のことでしたらまずは、運命分析という便利なツールが
ありますので生まれ持った本質を調べておくと、
お互いの性格の違いがロジカルに理解できるようになります。※生まれ持った本質の調べ方はこちらです。
※動画での解説はこちらです。
運命分析でみれば、お互いの性格がわかって、
考え方の違いもつかめるようになります。
「価値観の違い」とはいえ許しがたいこと
価値観の違いといっても、
どこまで許し合えるものでしょうか?
夫婦でともに生活をしていると、
「いくら”価値観の違い”とはいえ、これは許しがたい!」と
思うことがでてきます。
それは、どういうことか?
今回は、実際にあったご相談者の方を
例にあげてみたいと思います。
結婚3年目の30代のご夫婦、
奥様からのご相談です。
実際にあったできごと、”夫婦でピクニック”
ある日、夫婦でピクニックへ行った時の話です。
たまには「野外でごはん食べたいね」ということで、
お弁当をもって、原っぱに行き、
レジャーシートを広げてランチをしたそうです。
そこまでは、楽しかったそうですが、
なぜかその後、ご主人がお弁当を食べ終えたタイミングで、
「さあ、そろそろ帰ろう」というのだそうです。
奥さんは、せっかく来たのだから「もう少しのんびりしたい」と
言ったそうです。
お弁当を食べた後、のんびりお散歩したり、
近くでショッピングなど楽しみたかった
そうです。
でも、ご主人が「どうしても帰りたい」と言うので帰ることに
なったそうです。
夫婦の間で、ピクニックの食事後に”すぐ帰る、帰らない”で、
意見が分かれてしまったという訳です。
ピクニックに行った際の行程がどうとかは、
別にして考えると、
世の中には、こういう風に
夫婦の間で意見が分かれるということは、
よくあるものです。
夫婦だけでなく恋人同志でも、こういうことはよく
あるものです。
なので、あなた自身にあてはめて、
一緒に考えていただけたらと思います。
では、このピクニック、どこが問題なのでしょう。
①意見の分かれ「正しい問題点」の見つけ方
意見が分かれた時、問題点がどこにあるか?
これをみつけるのが、じつはとても重要です。
正しくみつけられないと、
こういった問題がどんどん増えて、
「あの時もそうだった」「この時もそうだった」と
蓄積され、
いつのまにか、仲が良かったはずの、
恋人や夫婦関係が破綻し、
別々の道を歩むことになってしまいます。
今回とても重要なお話になるので、
ぜひ一緒に考えていただきたいと思います。
まず、夫婦で意見が分かれた時、
最初に思いつくのが、
”普通”とか”一般的”など常識的な概念です。
このケースでいえば、
「普通、ピクニックってどういう行程で楽しむもの
なのだろうか?」と普通とか一般的というところに
注目して考えようとします。
私も相談者さんから、一番最初に、
「一般的に、ピクニックってどういう
行程でいくものですか?」と聞かれました。
ですので、ものごとの良し悪しを判断したり、
どうすべきか
私たち迷った時は、一般常識はどうなのか?
と常識的な概念で判断しようと考えます。
なので「一般的には、みんなこうしているよね」
なのになぜ?と、
考えてしまうので、奥さんとしてみれば、
ご主人の意見は、普通じゃない、一般的ではない、
という解釈になるので、不満が残るということになります。
このように、夫婦や恋人同士、相手と意見が分かれた時に
考える問題の『軸』が必要になりますが、
そもそも、その問題の軸がズレてしまいやすいのです。
運命分析でみれば、普通とか、一般的という軸は、
大雑把であり、問題点がズレていることがわかります。
たしかに、ピクニックに行く人だけの常識で考えたら、
”すぐ帰る”という選択は一般的ではないかもしれませんが、
問題はそこではありません。
ピクニックに「行かない」という選択肢もあるので、
比較するのであれば、
世の中の人、全体で比較しなければならないです。
そうすると世の中には、ピクニックに行く人、
行かない人がいます。さらにいえば、心がどうか?です。
行きたいと考える人、行きたくないと考える人がいます。
目に見える行動と目に見えない心が複雑に絡み合います。
ピクニックの選択肢
●行きたくて行く
●条件付きなら行く
●行きたくないけど我慢して行く
●行きたくないから行かない
色々な選択肢がありますので、
この中のどれなのか?
想像が必要です。
これでも大雑把なくらい、
行動と心の組み合わせは様々です
なので、ピクニックに行く人がすべて、
行きたい気持ち満々というわけではないのです。
もっといえば、嬉しそうにしていても、作り笑いで
我慢をしていることもあるのです。
行きたい側にしてみれば、ピクニックに行くと決めたなら、
きちんと満足いくようにつきあって欲しいと思うかも
しれませんね。
でも、世の中にはピクニックには「興味がない」、
「行きたくない」ときっぱり断る人もいます。
いくら奥さんが誘っても、子どもが誘っても、
「行きたくない、行かない」というご主人もいます。
そういう全体像からみれば、少しでも一緒に行ってくれる
ご主人は優しいのかもしれません。
心はみえないですから、ご主人からみれば、
疲れていて気が進まないけど「妻が行きたそうなので
少し無理してつきあうか・・」と思って、
でかけたのかもしれません。
また「野外でご飯を食べるのは、気持ちよさそうだけど、
ブラブラ歩いたり、ショッピングにつきあうのは、
疲れちゃうな・・」と思ったかもしれません。
頑張って行ったものの、途中で、
我慢の限界がきたのかもしれません。
②恋人・配偶者に求める『代償』
もう一つ問題の鍵となるポイントがあります。
ご主人がどういう心の持ちようだったにせよ、
もう一つ問題点となるのは、
ピクニック中の会話です。
相手が行く気満々でない場合、
無理や我慢をしている場合、
ここが重要です。
人間が無理や我慢をするとき、
代償を求める思考に
すり替わりやすくなります。
我慢の代償として、感謝されたり、
褒めてもらったりなど、
我慢したぶん、良い気分になることを相手に
求めてしまいます。
(そんな自覚はありません、無意識です)
とくに恋人や配偶者には、甘えがでやすいので
代償を求めやすくなります。
なので自分は
無理をしてピクニックにつきあったのに、
妻はそれに気づかなくて「当然である」という様子に
みえていたり、
妻が感謝してくれていない様子、
などといった代償がないと、
自分ばかりが我慢をしてるような気になって、
しまいます。
相手が自分の気遣いや我慢を、
全くわかってくれていないと思うと
どんどん苦しくなってしまいます。
その時の、
我慢の種類はケースバイケースで色々あります。
自分は日頃仕事をして疲れているとか、
自分ばかりが重い荷物を持っているなど。
そうなると、今度はシーソーの原理、
自分が不快で苦しいと、
反対に楽しんでいる相手の気分を壊そうとして
「帰る」「やめた」
などという反発がでてきてしまうことがあります。
こんな風にいうと、すごい意地悪な人に感じますが、
人の心理として、普通にあることです。
とくに、これも甘えがでやすい相手、
恋人や夫婦にぶつけやすいシーソーの原理です。
このシーソーの原理は、無視や意地悪する人の心理で
詳しく解説をしていますので、ご覧になってください。
【無視】シーソーの原理・無視する人の心理構造とターゲットになりやすい人
相手を苦しめると自分が楽になる錯覚をおこします。
でも錯覚なので、そういうことをすると陰陽の原理で
相手と共に自分も苦しくなってしまいます。
なので夫婦、恋人関係に
プラスなことはなにもありません。
じゃあ、このケースやっぱりご主人が悪いね、
という話ではありません。
善悪を判断しても意味がないのです。
男女関係には良いも悪いもなく、常識非常識もないのです。
どっちが悪い、非常識と、判断つけたところで、
「だから、どうする?」と、
また、最初の”ふり出し”に戻ってしまいます。
そのロジックに気づかないと、
どっちが悪い、非常識とジャッジが続き、
延々それをやりあって、
最終的に、どうなるかというと、
別れ話になって終わることになります。
なので、ジャッジは不要で、
二人にあるのは「愛」のみです。
今新時代に入っています。
高次元の視点で考えられないと
すぐに不幸に見舞われて、
おかしな方向に人生のコマを進めて
しまうことになります。
では整理しましょう。
ピクニック、ご主人は疲れていたかもしれないです。
気が進まなかったかもしれません、
これはご主人にしかわからないことです。
おそらく、奥さんを喜ばせたかった、
だから一緒にピクニックに行ってくれたのでは
ないでしょうか。
ありがたく受け止め、
ご主人に心から感謝の気持ちを
表してあげると良いでしょう。
「少しの時間でもとても楽しかったよ。
疲れているのにありがとうね」と声をかけたら、
きっとご主人の心は満たされるでしょう。
そうなれば、
「もっとゆっくりつきあってあげれば良かった」と
反省したり、考えが変わるかもしれません。
ご主人も気をつけなくてはいけないです。
シーソーの原理の意地悪は
すべてを失う恐ろしい思考。
ご夫婦ともにに次元置換し、
ふたたび仲良くなりましょう。
愛ある奥さんの言葉によって、
心が満たされ、シーソーの思考は
消えて無くなるでしょう。
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