【古事記】①天岩戸神話について 0学運命分析で解く

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【古事記】①天岩戸隠れ 幸せに生きるヒントあり! 0学運命分析で解く

 

私が0学運命分析を学びに、
御射山宇彦氏に弟子入りを始めたすぐの頃、
(1997年)
「人間を読み解くなら古事記を読むといい」という話を
うかがいました。

私はあまり歴史が得意ではなかったのですが、
師匠の言葉が気になりましたので、
古事記を読んでみることにしました。

師匠から古事記の話は、
その時だけで、
その後一度も話を聞かせていただく
ことはありませんでした。

古事記は、
上巻・中巻・下巻で構成されていて、
上巻が一番長く、内容はほぼ神話です。

大勢の神様が出てきます。
それぞれの神様の名前が長いため、
漢字の羅列が続いて、
読みづらかった記憶があります。

ですがゆっくり読み、名前が長くて混乱するので、
元に戻りながら繰り返し読むと、
だんだん慣れてきます。

とはいえ、
当時は運命分析学の創設者 御射山字彦氏のいう
”人間を読み解くなら、古事記” という意味がよくわかりません
でした。

その時の私はなんとなく、
”日本最古の歴史書”として、
ストーリーをなぞるように読んでいたようで、
”人間を読み解く”というのは、
正直なところ、あまりピンときていませんでした。

ところが20年以上もたった今なぜか、
再び古事記の内容が気になり、
読み返してみたら、

古事記から”現代人への教え”という解釈が、
できることに気づきました。

古事記が完成されたのは712年ですから、
1300年以上経た今、

改めて、現代に生きる私たちの、
日常にとても役にたつ教えが
満載だったことに気づいたのです。

 

運命分析で解きながら解釈をしていきます。

たとえば、話の中で
なぜ、ここで蛇が出てくるのか?

蛇というのは、手足がなく、
にょろにょろと地を這う動物ですが、

これを運命分析で解くと、土台がないことを意味し、
己の心を表しています。

己の心とは、つまり我欲や自我のことです。
自我との戦いと解釈できる場面でよく蛇が登場します。

歌舞伎など観ていても、同じような解釈が
できるタイミングで蛇がでてきます。

歌舞伎の演目で、
泉鏡花の『高野聖』というものがあり、
その話のなかで、僧侶が修行山越えをするシーンがあります。
その山越えの道中、
蛇やヒルなど、ニョロニョロするものが足元一面に
表れますが、僧侶は心を乱すことなく超えていくのです。

おそらく蛇やヒルといった比喩で、
自我を制する心を、
僧侶の修行の道に表されているのではないかと
思います。

こんなふうに、
運命分析で解釈すると一歩深く読み取れるので
私なりに運命分析の解釈を行っています。

今回は、
アマテラスという女性の神様が洞窟に隠れてしまったと、
いわれる天岩戸(あまのいわと)神話
について、運命分析で解釈していきたいと思います。

古事記は、
さまざま解釈があります。
調べれば調べるほど、さまざまな説があり、
それぞれ色々な解釈ができるところが、
楽しいと思います。

私の運命分析を使った解釈ではこうなります。

古事記では、アマテラスという女の神様がでてきます。
天を司る太陽の神様です。

その太陽の神様がある時、
暗い洞窟に身を隠してしまいました。
このことを天岩戸隠れ(あまのいわとがくれ)といいます。

なぜ、太陽の神アマテラスが、
暗い洞窟に身を隠してしまったのか?

そしてそのあと、
どうやって洞窟から出てくることになったのか?

これが、私たちの生き方のヒントになります。

まず太陽神アマテラスが、
なぜ洞窟にこもってしまったかというと、
アマテラスには、弟の神様はスサノオがいました。

スサノオは海を任された神様ですが、
それをやらずに、
お姉さんのアマテラスのいる高天原(たかあまのはら)にきて、
悪いことをたくさんしてしまいます。

どんな悪いことかというと、
たとえば、
畑や田んぼのあぜ道を埋めたり、
糞を撒き散らしたりして、みんなを困らせてしまいます。

それでも、アマテラスは確かに困ることだけど、
それはなにかスサノオにも考えがあって、
本人なりに、良かれと思って、
やったことなのかもしれない・・と理解します。

でも、そんな悪事を何度も繰り返されると、
いつか我慢や理解の限界がやってきます。

私たちの日常でも、こういうことがありますね。

困った人がいたとして、価値観のちがいがありますから、
「もしかするとその人なりの考え方があるのかもしれない」と、
一旦自分の気持ちを抑えて考えてみると思います。

アマテラスは、
そうやって理解をしようとしました。

そして何度も何度も繰り返されたある時、
スサノオは、もうどうにも理解のしようがない、
とんでもない悪事をはたらき、
アマテラスは、我慢の限界を超えてしまいました。

何をしたのかというと、
スサノオがはた織りをしている(神様の衣服を織っている)御殿に
いき、
その天井に穴をあけて、斑馬(ふちこま)という馬の皮を、
尻尾の方から剥いで、
その死骸を落としたのです。

それが大変なことになりました。

この斑馬(ふちこま)というのは、
斑(ぶち)斑(まだら)という文字と同じですが、
斑(ぶち)というのは動物に表す言葉で人間には使わないのだそうです。
そういう斑(ぶち)の模様の馬のことをふちこまというのだそうです。

このふちこまを調べてみると、
一説では「鹿」であったとも言われています。

馬と鹿、『馬鹿つ』つまりバカです。
これは、運命分析では享楽の世界を表します。
享楽とは思いのままに快楽を楽しむこと。

一般的はバカという言葉は、よくないとされますが、
運命分析では人間に必要な概念です。

人間、時には遊びを堪能し、
楽しみを満喫する、
バカという享楽の世界は、なりふり構わず楽しむ、
ことも大切なことといえます。

ですが、
その享楽の世界は天国と地獄との分かれ目、
すれすれの境界線でもあります。

スサノオが天井から落とした、
斑馬(ふちこま)によって機織りの機械が倒れてきて、
その機械の一部が、
大切な機織りの女性に突き刺さって死んでしまいました。
かなり残酷なシーンです。

運命分析で解くと機織りの機械は、
テクニック技術を表し、
人間の発展する文明を表すのですが、
女性というのはものごとの分岐を表します。

天と地を分ける境のことです。
女性の死とは陰陽の「陰」が滅びてしまうことを表し、
陰が滅びてしまうことは、
すべてが消えてなくなることを意味します。
滅亡要素です。

人間、時として思いきり存分に遊び楽しむことは
大切ですが、それがいきすぎてしまうと、
気づかないうちに陰の世界、
みえないところが失われ(陰というのは外からみえないところ)、
気づかぬうちに、天井から降ってくるように突然、
楽しみ喜びがすべて消えてなくなってしまいます。
という解釈になります。

そんなスサノオの行動によって、
アマテラスはひどく心を痛めてしまい、
洞窟に身を隠してしまったのです。
それが天岩戸隠れ(あまのいわとがくれ)です。

太陽神であるアマテラスが、
暗い洞窟に入るとはどういうことか?

これを解釈しますと、
太陽とは明るい、温かい要素です。
その、太陽の陽を
閉ざすことになりますから、
アマテラスは、
自分の考えや思いをすべて放棄したことになります。

人間社会でもありますね。
嫌なことを繰り返しされると、
もう自分の何もかもを捨てたくなる、逃げ出したくなる・・
ということ。

太陽神アマテラスが岩に身を隠すと、
太陽が消えて無くなるので世の中は真っ暗で
寒くなります。
これが皆既日食という説があります。
そうなると、
植物が育たず、食べ物がなくなり、
病気が発生したりして、大変です。

ではどうやって、
アマテラスを岩戸の外へ出したのでしょうか?

続きは②へどうぞ。こちらです。

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