【古事記】②天岩戸神話について 0学運命分析で解く

◆小説・映画

古事記の中の一説、天岩戸(あまのいわと)神話
②を運命分析の視点から、解説したいと思います。

①はこちらです。

古事記の内容について、
学校で学ばないことが多いようです。

解説書を探して調べてみると、
さまざまなものがあります。

また、それを読んだ人の解釈にも
いろいろ違いがあるようで、
それがまた楽しいのではないかと思います。

わたしも運命分析の視点で解釈をして、
解説をしていきたいと思います。

動画解説はこちらです。

古事記②(天岩戸神話)を運命分析で解説してみました

今の時代を幸せに生きるための大切なヒントが
たくさん隠れています。

太陽神アマテラスが身を隠す

 

(①の続きになります。)
太陽神のアマテラスが、
洞窟に身を隠してしまったため、太陽が消え、
世の中は真っ暗闇になってしまいました。

そもそもなぜ、洞窟に身を隠してしまったのか?

それは、
アマテラスの弟(スサノオ)がひどい悪事を働いたことが、
大きなショックだったからです。

アマテラスは神として、弟スサノオの度重なる
悪事に対して、
柔軟に理解してきました。

でも、何度も何度も悪事を働く弟で、
とうとう限界がきてしまいました。

「もうこれ以上、弟を理解することはできない、酷すぎる」
ということで、洞窟の中に身を隠してしまったのです。

これを天岩戸隠れ(あまのいわとがくれ)といいます。

私たちの人間社会におきかえても、
こういうことがあると思います。

たとえば、”自分や、周りに危害を加える人”
そういう悪い人がいたとしたら、
どうでしょう?

悪い人だと思っても、
まずは、なんとか理解しようとしてみたり、
円満に解決しようとして頑張るでしょう。

「価値観が違うから」
「悪気はないのかもしれない」とか
「魔がさしたのかな」「裏で苦しいことがあって何か、
闇を抱えているのかな』などといろいろ考えて
理解しようとしますね。

また「自分が我慢すればいい」と
我慢することもあると思います。
アマテラスもそうだったかもしれません。

でも、無理や我慢を重ねていると、
必ず、いつか限界がくるものです。

それは、善悪という陰陽の原理です。
私たちは、善と悪の「悪」は、
どうやって見分けるかというと、
私たちの日常でいえば、
一般常識の枠組みを超えている人や、
法を犯している人(法的枠組みを超えている)を
”悪”と捉えます。

とはいえ、いくら善悪の判断をしても、
運命う分析でいうと、”善悪”とは”陰陽”であり、
表裏一体の構造なので切っても
切り離せ無いものなのです。

先ほどの話に戻りますが、
私たちも限界が来ると、
そこから離れたくなります。

たとえば、
「悪人や、嫌な人のそばにいたくない」と思いますから、

会社なら「辞めたい」、
学校なら「行きたくない」という考えが
浮かぶかもしれません。

アマテラスも、
弟のスサノオの繰り返される悪事に心を痛め、
『もういや・・」と身を
隠したくなってしまったのです。

私たちの人間社会に置き換えてみて
同じことがおきています。
こういう場合、どうしたらいいのか?

アマテラスはこの後、
洞窟から出てくることになるのですが、
その方法に私たちが、
幸せをつかむためのヒントがあるのです。

太陽の神、アマテラスが身を隠してしまい、
あたりは真っ暗になってしまいました。
これでは、太陽の光がないので、
植物が育ちません、食べるものがなくなり、
寒さも厳しくなり
「これは困った」ということになりました。

そこで、なんとか外に出てきてもらおうと、
考えます。
アマテラスは、
心を痛めているので、
思慮深さを象徴する思慮の神(オモイカネ)に
アドバイスを委ね、いろいろなことを試します。

 

天岩戸神社

 

 

思慮の神(オモイカネ)が試したこと

 

古事記の話の中では、アマテラスを外に出すために、
行ったことは、たくさんあります。

ひとつひとつ解釈していきますと、
とても長くなるので今回は、最初と最後だけに絞り、
あとは省略させていただきます。
箇条書きにすると、こういうものでした。

1)長鳴鳥ながなきどり(鶏)の鳴き声を聞かせた
2)鋼(はがね)を造らせた(強靭な鉄)
3)八咫の鏡(やたのかがみ)を作らせた
4)八尺瓊の勾玉(やさかにのまがたま)を作らせた
5)祭祀(さいし)の神である布刀玉(フトダマ)を呼んだ
6)雄鹿の肩の骨でははかの木(上溝桜うわみずざくら)を取って占いをした
7)賢木(さかき)を根から掘り枝に八尺瓊勾玉と八咫鏡と布帛(ふはく)をかけた。
8)それを御幣(ごへい)として奉げた
9)アメノコヤネが祝詞を唱え祭りを準備した
10)腕力の神、天手力男神(アメノタヂカラヲ)を呼んだ
11)芸能の神、天宇受賣命(アメノウズメ)に踊らせた
12)八百万(ヤオヨロズ)の神を楽しませ、笑わせた。

 

朝、鶏が鳴く言い伝え

 

最初に鶏を放して鳴き声で誘いました。

このことから今でも朝、
コケコッッコーと鶏がないて、
陽が出てくるので鶏は太陽の神を
呼ぶ力があるといういい伝えがあり、
現在でも鶏を放し飼いにしている神社があります。

天照大神(アマテラス)系の神社

 

鶏のいる神社

 

伊勢神宮
三重県伊勢市にある伊勢神宮の内宮(ないくう)
放し飼いの鶏・・神鶏(しんけい)と
呼ばれているそうです。

石上神宮
奈良県天理市の、
古い歴史を持つ石上神宮(いそのかみじんぐう)
長鳴鶏(ながなきどり)の
一種の東天紅(とうてんこう)と
烏骨鶏(うこっけい)。天然記念物です。
その他、採卵用種のレグホン・ミノルカを含めて、
約30羽が棲息しているそうです。

鷲宮神社
埼玉県久喜市にある、
関東最古ともいわれる鷲宮神社(わしのみやじんじゃ)は、
「お酉様の本社」として、
鶏とゆかりの深い神社です。
そのためか、境内では鶏が飼われています。

栃木県栃木市にも同名の鷲宮神社がありますが、
こちらはさらに鶏とのつながりが強い神社です。
まず、手水の水口が鶏。
さらに、お社の前の左右の灯篭の上には、
雄鶏と雌鶏が仲良く並んでいます。

 

運命分析で「鶏(鳥)」とは?

 

運命分析では、
鶏は「金」(ゴールド)を表し、
”物体の最高峰”を意味する要素です。

また、鶏はくちばしがあるので、
「口先」「話す」という意味の象徴として考えます。

これは、鳥のぴーちくぱーちくという鳴き声から
おしゃべりするという意味で、
言葉で誘ったり、
言葉で導いたりすることを表します。

私たちも、なにかとても辛く苦しいことがあって、
心を固く閉ざしてしまった時、
いくら言葉をかけられても、
心に響かないことがありますね。

言葉をかけることは、
心を動かすうえで大切なことです。
でもそれだけでは、
何かが足りないことになります。

では最終的に、
どのようにしてアマテラスが
外にでてこれたのかというと、芸能の神、
天宇受賣命(アメノウズメ)という女性の神が、
得意の踊りを披露しました。

これも元は、思慮の神オモイカネの発案です。

 

天宇受賣命(アメノウズメ)の舞

 

芸能の神、天宇受賣命(アメノウズメ)に、
得意な舞を披露してもうらうことになりました。

踊りを踊ってみんなで楽しそうにしていれば、
アマテラスがその声を聞いて、
「なんだろう?」と気になって顔を覗かせるかもしれない。
そうなったら、手を引いて引っ張り出そう、
という計画を立てたのです。

そこで、アメノウズメは踊り出しました。
それは、大変上手な踊りだったそうです。

そしてとても激しい踊りだったそうです。
徐々に舞踊りが激しくなり、
そのうちにまとっていた衣服が脱げて、
女性の神様ですが胸があらわになったそうです。

それをみてみんな(八百万の神)が、
一斉に笑いだしたのです。

すると、
その楽しそうな笑い声がアマテラスの耳に入り
「あれ?私がいなくなって暗くなっているはずなのに、
楽しそうな笑い声が聞こえる、何があったのかな?」と
気になります。

そこで、穴からそっと顔を覗かせたのです。

そのとき、思慮の神であるオモイカネが、
八咫の鏡(ヤタノカガミ)をアマテラスに向けました。
すると鏡に映った自分に興味を持って覗き込んだところを、
手を引いて引っ張り出したのです。

ということで、アマテラスは外に出ることができました。

このアマテラスが興味深くのぞきこんだとされる、
八咫の鏡(ヤタノカガミ)は、
三種の神器として知られていて、
こ存じの方も多いと思います。
天照大神(アマテラスオオミカミ)の
御神体として伊勢神宮に奉安されています。

 

八咫の鏡(ヤタノカガミ)のパワー

 

八咫の鏡(ヤタノカガミ)は、私たちが幸せに生きるための
ヒントになっています。

この八咫鏡というのは、
いわゆる鏡ですが、私たちの知っている姿(物体)を
映し出す鏡とは違うのです。

厳密にいえば、
物体だけではなく、空体を映す鏡。
とても意味深い鏡です。

この世のすべてのものは陰陽という相反する要素の
融合でできています。

物体(みえるもの)と
空体(みえないもの)は、両方セットでひとつです。

鏡も目に見える物体の鏡と、
目に見えない空体の鏡があります。

八咫鏡は、実物は公開されていないので、
見ることができませんが、表に出さないということは
陰陽の陰の要素として人目につかないように
奉安されていると考えられます。

陰の要素を表に出してしまうと、
陽が消えてしまう構図だからです。

この鏡の原理、については、
また別の機会に解説したいと思います。
私たちの知っている鏡は姿がそのまま映りますが、
八咫の鏡は心をうつします。

そのトリックを運命分析で解説していきたいと
思います。

****************

思慮の神であるオモイカネが
八咫の鏡(ヤタノカガミ)を
用意したのはどういうことだったのか?

空体を映す鏡の正体をこのあと解説します。

その前に私たちの知っている鏡の原理を
考えてみましょう。

日常生活では、鏡を便利に使っています。
自分の顔をみて「今日は疲れた顔をしているな」、
「やつれた感じがする」などがわかります。

もし、鏡というものがなかったら、
恐ろしいほど、
大きく人生が変わってしまうでしょう。

ガラスでも水の表面でも、
自分を映してくれる物体(物質)が
なければ自分がどんな顔を
しているかわからないのです。

猫が鏡の前で「威嚇」

 

鏡のエピソードをひとつお話しますと、

以前、母親が旅行に行く時、
子猫を預かりました。
その時、子猫は、
うちにある姿見鏡の前で、
背中を山のように高くあげながら、
ウウッと唸りました。

背中を山のようにあげると、
大きくみえるのでそうやって鏡に威嚇を
したのです。

威嚇をしている相手というのは、
鏡に映った自分です。

子猫なので、鏡に映っているのが、
自分だということががわからなかったのです。

私はそれをみて、
可笑しくなり、大笑いしました。

鏡は細長いですから、
鏡の前を通り過ぎると、
山になった背中は、
元に戻って穏やかになります。

子猫は、初めての場所で、
不安だったのかもしれません。

あちらこちら、
家の中を散策していました。

そして再び、鏡の前を通った時、
自分が鏡に映りました。

すると今度は、
その鏡の相手に用心深く近寄っていき、
ジッと睨みつけて、ウウ〜と唸って、
背中を山の用に高くあげて威嚇を始めました。

子猫は真剣に、
怒っているのです。

なんとも滑稽で可笑しい話なのですが、
ふと私は我に返り、気づきました。

運命分析でみれば、
自分も過去にネコと、
同じことをしていたのです。

おそらく、
あなたも経験があるのではないでしょうか。

誰もが、このネコと同じことをしてしまうのです。

鏡と言っても、姿鏡ではなく、八咫鏡の前でです。

運命分析でみれば、八咫鏡とは『心』を映しだす鏡であり、
それは何かというと『人(相手)』なのです。

”相手は自分の鏡”という話を、
聞いたことはないでしょうか?

これは、なんとなくわかっているという人はいても、
あまり深く解こうとする人は少ないです。

自分が相手に湧いた感情は、
隠している自分の本心なのです。

とはいえ、私も今でこそ理解しておりますが、
最初はとてもそんな風に思えませんでした。

嫌な相手が自分と同じであるなんて、
どう考えても、理解できませんでした。

心の鏡なので、自分の心が変わらない限り、
ずっと相手に映り続けます。

こういう経験をしたことはありませんか?
「嫌な人」から、やっとの思いで離れたのに、
別の場所でまた、
同じような嫌な人に出会ってしまう・・ということ。

つまりは、相手は自分の隠した心を映す鏡なので、
自分の心が相手に表れているのです。

なので、自分の内面が変わらない限り、
鏡ですから、どこを向いても映り続けます。

このトリックを運命分析で解釈しますと、

鏡とは、
右手をあげると左手をあげているようにみえます。

陰陽なので反対なのです。
相手は自分の鏡といっても、
表にみえる部分が反対なので、
「自分はあんな人とは違う」と、
思ってしまうのです。

具体例をあげてみますと。
例えば、
ある人を見て
「あの人は損得勘定の強い人だなと感じるとします。
「あの人はいつも損か得か考えて動いている、
だって1円単位まで割り勘にするんだから・・」とか
「お客さんになりそうな人にだけ優しい、
損得勘定だけで動いている」と感じたとします。

その人に、ものすごく嫌な感情が湧いたとすれば、
それは自分自身がお金に不安を抱えていて、
お金に執着していたり、仕事の業績に不安があって、
人をビジネスの目で損得勘定でみているかもしれないのです。

「そんな人とはちがう」と思えるのですが、

本当に違うのなら、
1円単位の割り勘や他人の人の付き合い方がどうでも、
自分が不快に
はなることはないのです。
自分の内面にないものは、
相手に映らないので不快な気持ちにならないのです。

とはいえ、人はそんな風に思いたくないので、
賢く別の解釈を優先させてしまいます。
賢い人ほどこのループにはまります。

だって「一般的にみんなそう思うでしょう」

周りの人に話せば「それはそうだね、
損得で動いているのかもね」と同意が得られるので、
あくまで自分は一般常識をいっているだけだと思ってしまいます。
鏡の原理に気づきにくいのです。

”得したいから値切る人”と”得したいけど値切らない人”、
表向きの行動は値切る値切らないで真逆ですが、
内側をみればどちらも損得の概念が強いことがわかります。

嫌な気分にさせる相手というのは、
鏡の原理で自分の隠している自分のいやな内面が、
わかりやすく映しだされています。

極端な人がでてきますので、
いやだからといってその相手を滅ぼそうとすれば、
自分が滅びてしまいます。

ネコのみみいちゃんが、
鏡に向かって突撃していたら怪我をしていたでしょう。

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アマテラスが、
外に出られたポイントは3つあります。
自分にフォーカスしていた意識を、
周り全体に置き換えたからです。

自分がいないのに、
周りは楽しそうにしている。
自分ではなく、
周りの人たちにフォーカスし始めたのです。

私たちの日常におきかえてみると、
たとえば自分を信頼してくれる20人の仲間がいたとします。
そのうち一人、二人が、自分を批難してきた場合、
その批難がすべてになってしまうということがあります。

20分の1とか2のわずか10パーセント、
20パーセントの意見が100パーセントに
なって、苦しんでしまうことがあるのです。

それはなぜかというと、自分のみている視界です。
見えている範囲が狭くなっていて、
苦しんでいる自分の心だけにフォーカスしている状態
になると、
自分を信頼してくれている18人、19人が見えなくなってしまうのです。

視界を広げていくと、
周りの人の温もりを感じることができるようになります。
そうなってくると、
アマテラスは自分の力や役割がみえてきて、
そういう周りのものと自分との調和が
とれるようになってきます。

周りに愛を感じ、
自分が何をすべきか?
自身の役割を認識することができてくると、
周りとの調和がとれるようになってきます。

なぜ、古事記に良い神様と悪い神様がでてくるのか?
善悪という切っても切り離せないい要素だからです。
善があるのは悪があるからで、善があるかぎり、悪は存在するという
構図です。

私たちも苦しくなった時、
自分にフォーカスしすぎていないか、
視界を広げていくことで、温かい愛を感じたり、
感謝の気持ちが生まれたりします。

そして何より自分がやるべきことを見失わ無いようにしたいですね。

ということで、
今回は【古事記】②天岩戸神話(あまのいわとしんわ)について
運命分析で解いてご紹介しました。

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